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考える言葉

異文化に暮らす子どもたち 早津邑子 金子書房
日本語は本当に「非論理的」か 桜井邦明 祥伝社
異文化に育つ日本の子ども 梶田 正巳 中央公論社
ことばを鍛えるイギリスの学校 山本 麻子 岩波書店

外国語を学ぶ以前に、僕らは日本語をしっかりと使えているのだろうか。
言葉は話す手段であるだけでなく、考える手段でもある。だから、言葉が使えない時、人は話すことができないだけでなく、考えることすらできなくなる。
留学中、無意識に日本語で考えることを止め、英語で考えるようにしていた。その移行ができないまま、無為な時間が過ぎていた。頭をフル回転しなければいけない時に、思考回路は止まっていた。研究意欲は失せて、その理由がわからないまま、凍てつくアムステルダムの冬、脳みそが腐っていくのを感じていた。
帰国してから、頭はすぐに回転し始めた。研究意欲も健在だった。頭が命の研究者です。リハビリから始めなければいいけないと、心を入れ替えて勉強した。脳みその回復は早かった。動かすことを欲していた。考えて考えて考え続けた。日本語で考えていると思っていたけれど、身に付いていないと思っていた英語の思考は芽生えていた。聞く、話す、書くことに障害があったため、留学中はその思考回路が回らなかったけれど、日本ではその思考回路が回り始めた。

僕らは言葉を単なる話す手段として考えていないだろうか、考える手段として言葉を考えた時、言葉が未熟であれば、人と話すことはできても、ろくに考えずに生きているに等しい。英語の日常会話ができることよりも、日本語で十分に考えることの方が遥かに大切なことではないだろうか。人は成長する過程で、社会と向き合い、自分と向き合う。言葉は社会とのコミュニケーションだけでなく、自己研鑽に必要な手段である。日本語で深く考えることよりも、英語で日常会話ができることが大事だと思っている人々に、日本語教育の危機と重要性を訴える声は届かないだろう。けれど、一度言葉を失い思考を失った者として、考える言葉を磨くことが、自己の確立に大切であること、それは外国語が話せることよりも、遥かに大切なことであることを知ってもらいたい。

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